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        茂原祥一

5歳で親子になった娘への21通の手紙DESCRIPTION based on LAW


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〜〜〜小学校時代から〜〜〜

「カレー事件」ーー友達に自慢するの、よくがまんできたね。

「ねえ、ねえ。ちょっと聞いてよぉ」

学童保育からかえるなりキミは言った。

玄関にていねにかばんを置くキミをみながら、ぼくはワクワクした。

キミの「ちょっと聞いてよ」は、いつもぼくに「ぶっくり」をもたらしてくれた。

この日、学校で料理の時間にカレーをつくったという。

「で、○○ちゃんにね、『わたし、まえからカレー、作れるんだよ』って言われちゃった」

「キミも、つくれるよな。わたしもできるよ、とか言った?」

「ううん、そんなこと言えないよ。わあ、すごいね、って言ってあげた」

「褒めたんだ。わたしもつくれるよって、言わないで」

「うん」

「わたしも保育園のときからできたよって、言えたのに。それ、がまんしたんだ」

「したした」

「よくがまんできたね」

「でしょ、でしょ。わっかるぅ、苦しいこの気持ち。けっこう苦しかったよ」

よくできたよね。えらい。すっごくえらいよ」

と、それだけを言った。心から、そう思った。

夜、これをきいた由美(妻・仮名)さんは言ったよね。

「わたしだったら、カレーつくれるよ、って言うわね。保育園のときからつくれたんだよとか、言うかもね」

まあ、それがふつうの反応だろう。

たいていの大人は、おなじ場面に立ったら、おそらくそういう。ぼくも多分そう口にする。

友だちの、褒めてもらいたい、という気持ちをキミは察して褒めてあげた。
自己承認の欲求は褒められたときに満たされる。この果実はすこぶる甘い。
それを、キミはとっさに自分にではなく友達の手にさし出しだすことができた……。

なぜだ? と思った。

大人でもできないことを、まだ九歳のキミができた。

なぜ、この子は自分を抑えることができたのだろうか。なぜ、相手に自分の果実を与えられたのだろうか、とときどき考えた。ボーッとだけどね(5歳の女の子に叱られる)。

あの日から、親がする教育ってなんだろうと考えはじめた。

家庭の教育というものは、親が未熟な子供をおしえ導くもの、なんとなくそう思いこんでいた。考えることなくね。ボーッと生きていたんだね(きっとチコちゃんに叱られるよ)。

それが、カレー「事件」で、目がひらいた。子供におしえられるのは世をしのぐための情報や知識にとどまるのだね。

人間性はおしえられない。思いやりも教えられない。世の中には、おしえられる偉い人もいるけど、ぼくにはできない。縁あってキミの親になったばかりの頃、ぼくは教えられると思っていた。あのころぼくはアホだった(いまでも……、の声あり)。

だいぶたってからこの疑問に、ひとつの答えらしきものがうかんできた。

キミは苦しかったけれど、それでも何とか自分をおさえて、甘い果実をその子にあげた。褒めてあげることができた心の底には、キミの優しさがあったとおもう。

そうして、ともだちの気持ちをすばやく読みとれる感性もキミはもっていた。褒めてもらいたい、という気持ちを感じとり、やさしさでそれに応えてあげた。

自分を抑えて、その子に果実をあげた。

話はかわるけれど、ドヤ顔、という言葉をキミにおしえてもらったのも、このころだった。五十歳ちかくまで、ドヤ顔、という言葉を知らなかった。つくづく思うけど、ボーッと生きていたんだね(チコちゃんにきっと叱られる)。

世の中はだれかの仕事でできている、というコピーがあったけれど、ドヤ顔という言葉を知ってから世の中はドヤ顔に満ちている、というよりもドヤ顔でできていることに遅ればせながら気がついた。

それからはそうした顔をしないように気をつけるようになった。
なかなかできないから、もしドヤ顔に気づいたら指摘してくれるように、とキミにたのんだ。

その後のこと。テレビをまえにして、社会の問題でこのくらいは知っておいてほしいとの誘惑に負けてたのまれないのに解説するときがたまにあったね。

そんなとき、聞いていたキミは、ぼくの目をみて

「おとうさん」

と語尾をあげて、ニヤリとする。

「あ、いま、ドヤ顔をしていた?」と、ぼく。
「うん、語ってたね」と、キミ。
「そうか。そうだった」とぼく。

いま、書きながらぼくは、ただの親バカになっていることに気づいている。

そういえばキミを弟妹や甥の家族に紹介するとき、「ぼくのコミュニケーションの先生です」、と紹介したことをおもいだした。

 

【今ふり返って】

 この手紙を公開しているのは、親バカだからだね。

たしかに子供に勉強を強いたり、好成績を求めている親に読んで欲しいという気持ちはある。また、そうした親に怒られている子供たちを救いたい、という気持ちも強い。けれど、やはり親ばか。

成績は悪いけれど、世にも面白いキミという人のいることを知って欲しい、という大義名分の蔭にあるのは、心の「ドヤ顔」なのだろうね。

親バカって、なかなか治らないものなんだね。



〜〜〜保育園時代
おとうちゃん「事件」

親子になって間もないころ、スーパーマーケットで、きみはいきなり「おとうちゃ〜ん」と言った

〜〜〜小学校時代
気がついたら、男の子を夢中でなぐっていた「事件」
教室で友だちと話していたら突き飛ばされて……、それからは憶えていないって?

カレー「事件」
調理の時間に友だちから「わたし前からカレーつくれるよ」と自慢されたときにとったキミの対応は……。

〜〜〜中学時代
試験の数学が連続で16点だったことにカンドウ?

16点はきみにとって恥ずかしいことでも、ガッカリすることでもなかった。そのことに、ぼくは驚いて……。

試験の数学が連続で16点だったことにカンドウ?(その2)
答案を皆に見せて、「あ、おまえバカだったんだ」と男の子に言われちゃったと、楽しそうに。

わたしね、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの
ぼくは思わず笑ったけれど……

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