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        茂原祥一

5歳で親子になった娘への21通の手紙DESCRIPTION based on LAW


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〜〜〜中学時代から〜〜

わたしね、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの

中学時代になったキミが、勉強で机にむかっている姿を見かけた記憶がほとんどない。

開いたドアから、たまに机に向かう姿を見かけたとき、ぼくは不思議な光景を見るような気持ちがした。嬉しくなって、「お、やっているね」と褒めてやろうとして近づく。勉強ではなくノートに動物のイラストを描いている最中だったりして、いつも拍子抜けした。ぼくの気持を知らないキミは、
「ねぇ、ねぇ。ちょっとこれ見てよ」と頼みもしないのに前のページも開く

先生の似顔絵だったりする。ほんものを知らないが、なかなかの出来。親ばかか。で褒めることは意識してひかえる。

「授業が退屈だから、そのときに書いたんだ」

「授業中に!?」

なんで授業中なのか。

「だって、退屈なんだもん」

その少しまえだった。キミはこう言ったことがある。

 

「わたしねお父さん、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの」

「5分? 煙?」

ぼくは面白い比喩に思わず声をだして笑った。

どこまで本気なのかわからないけれど、まじめな顔だった。

意味するところは深刻で、ぼくは笑ったことを後悔した。

五分以内でできる中学生の勉強なんて、あっただろうか、と呆れる。

 

また、別のときには、

「あたしね、十五分も勉強するとさ、頭が爆発しそうになるんだよ」

 と、嬉しそうな顔で言ったこともある。

それが勉強しなくてもよい免罪符でもあるかのようで、とり合わないでいると、

「ねぇ、ほんとなんだからぁ」と、ぼくの肘をとってゆすった。

別々の日に口にしたふたつの比喩が、五分と十五分の差を、煙と爆発の差で使い分けているところをみると、キミのなかで、いつも浮かぶイメージなのだろうか。ぼくはこれらの比喩を耳にしたあとで、なんどもふかい息を吐いた。

 

また、別の日のこと。

「わたしという子はね、勉強できない星の下に生まれてきたのね」

と、自分で言って、自分でうなずいていたことがある。これもぼくにはいつのことだったか記憶が曖昧だけれど、

「こんど生まれてくるときにはさ」と、きらめくような目で言ったことがある。

「勉強が好きな子に生まれてこようと思うの」

キミは来世を信じている。いつかそう言っていたから、冗談のつもりはない。

「そうなんだ。勉強が好きな子に生まれたいんだ」

「そうね、なりたいわね」

「この世ではだめなの?」

「もう勉強が嫌いな子に生まれちゃったからね、手遅れだね」

「――そう」

ようやく相槌だけをうって、つぎの言葉を探していると、

「あ、あとね、歌も上手な人に生まれたいな」

 と夢を語りはじめる。

調子っぱずれーー本人はきちんと歌っているつもりーーな歌で、家族を笑わせてくれる節回しがぼくの頭の中を流れる。
ポップを歌っても、演歌調になる。

「お父さんもそうでしょ。おたがい、こんどは歌の上手な人に生まれてこようね」

ぼくはただ苦笑いする。

キミは来世まで勉強するつもりはなさそうであった。



〜〜〜保育園時代
おとうちゃん「事件」

親子になって間もないころ、スーパーマーケットで、きみはいきなり「おとうちゃ〜ん」と言った

〜〜〜小学校時代
気がついたら、男の子を夢中でなぐっていた「事件」
教室で友だちと話していたら突き飛ばされて……、それからは憶えていないって?

カレー「事件」
調理の時間に友だちから「わたし前からカレーつくれるよ」と自慢されたときにとったキミの対応は……。

〜〜〜中学時代
試験の数学が連続で16点だったことにカンドウ?

16点はきみにとって恥ずかしいことでも、ガッカリすることでもなかった。そのことに、ぼくは驚いて……。

試験の数学が連続で16点だったことにカンドウ?(その2)
答案を皆に見せて、「あ、おまえバカだったんだ」と男の子に言われちゃったと、楽しそうに。

わたしね、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの
ぼくは思わず笑ったけれど……



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