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〜〜〜中学時代から〜〜
わたしね、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの
中学時代になったキミが、勉強で机にむかっている姿を見かけた記憶がほとんどない。
開いたドアから、たまに机に向かう姿を見かけたとき、ぼくは不思議な光景を見るような気持ちがした。嬉しくなって、「お、やっているね」と褒めてやろうとして近づく。勉強ではなくノートに動物のイラストを描いている最中だったりして、いつも拍子抜けした。ぼくの気持を知らないキミは、
「ねぇ、ねぇ。ちょっとこれ見てよ」と頼みもしないのに前のページも開く。
先生の似顔絵だったりする。ほんものを知らないが、なかなかの出来。親ばかか。で褒めることは意識してひかえる。
「授業が退屈だから、そのときに書いたんだ」
「授業中に!?」
なんで授業中なのか。
「だって、退屈なんだもん」
その少しまえだった。キミはこう言ったことがある。
「わたしねお父さん、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの」
「5分? 煙?」
ぼくは面白い比喩に思わず声をだして笑った。
どこまで本気なのかわからないけれど、まじめな顔だった。
意味するところは深刻で、ぼくは笑ったことを後悔した。
五分以内でできる中学生の勉強なんて、あっただろうか、と呆れる。
また、別のときには、
「あたしね、十五分も勉強するとさ、頭が爆発しそうになるんだよ」
と、嬉しそうな顔で言ったこともある。
それが勉強しなくてもよい免罪符でもあるかのようで、とり合わないでいると、
「ねぇ、ほんとなんだからぁ」と、ぼくの肘をとってゆすった。
別々の日に口にしたふたつの比喩が、五分と十五分の差を、煙と爆発の差で使い分けているところをみると、キミのなかで、いつも浮かぶイメージなのだろうか。ぼくはこれらの比喩を耳にしたあとで、なんどもふかい息を吐いた。
また、別の日のこと。
「わたしという子はね、勉強できない星の下に生まれてきたのね」
と、自分で言って、自分でうなずいていたことがある。これもぼくにはいつのことだったか記憶が曖昧だけれど、
「こんど生まれてくるときにはさ」と、きらめくような目で言ったことがある。
「勉強が好きな子に生まれてこようと思うの」
キミは来世を信じている。いつかそう言っていたから、冗談のつもりはない。
「そうなんだ。勉強が好きな子に生まれたいんだ」
「そうね、なりたいわね」
「この世ではだめなの?」
「もう勉強が嫌いな子に生まれちゃったからね、手遅れだね」
「――そう」
ようやく相槌だけをうって、つぎの言葉を探していると、
「あ、あとね、歌も上手な人に生まれたいな」
と夢を語りはじめる。
調子っぱずれーー本人はきちんと歌っているつもりーーな歌で、家族を笑わせてくれる節回しがぼくの頭の中を流れる。
ポップを歌っても、演歌調になる。
「お父さんもそうでしょ。おたがい、こんどは歌の上手な人に生まれてこようね」
ぼくはただ苦笑いする。
キミは来世まで勉強するつもりはなさそうであった。
〜〜〜保育園時代
おとうちゃん「事件」
親子になって間もないころ、スーパーマーケットで、きみはいきなり「おとうちゃ〜ん」と言った
〜〜〜小学校時代
気がついたら、男の子を夢中でなぐっていた「事件」
教室で友だちと話していたら突き飛ばされて……、それからは憶えていないって?
カレー「事件」
調理の時間に友だちから「わたし前からカレーつくれるよ」と自慢されたときにとったキミの対応は……。
〜〜〜中学時代
16点はきみにとって恥ずかしいことでも、ガッカリすることでもなかった。そのことに、ぼくは驚いて……。
試験の数学が連続で16点だったことにカンドウ?(その2)
答案を皆に見せて、「あ、おまえバカだったんだ」と男の子に言われちゃったと、楽しそうに。
わたしね、五分も勉強すると頭から煙が出てくるの
ぼくは思わず笑ったけれど……