おとうちゃん「事件」
キミを保育園から引きとったあとで、よく、スーパーマーケットに行ったね。
キミは籠をもたないぼくの空いているほうの手にぶら下がって、からだを棒みたいにのばしたまま顔を見あいながら、ほんの数歩ぼくにひきずられるのをたのしんだ。
あの日、いつものように引きずられながら、キミは「おとうちゃん」といった。いつもの、おとうさんではなく、はじめてつかうことばの響きを、おずおずと、たわむれに口にしてみた、といったふうだった。
ぼくも「おとうちゃん」、とよばれて、新鮮さと、くすぐったさと、そこはかとない郷愁をかんじた。ふりかえると、キミは神妙な顔でみあげていた。
親子になってまだ数ヶ月、「おとうちゃん」とふざけてはみたものの、ぼくが反応してくれる人なのかどうか、不安げにみえた。ぼくは頬の筋肉をゆるめた。
と、神妙だったキミの顔がゆるんだ。気持ちよさそうに、こんどははっきりと、
「おとうちゃーん」といった。
さっきよりゆっくりと、たのしむように、大きな声で。
となりにいた中年の女性がこちらをみて微笑んでいる。
「よせよ、恥ずかしいからさ」とささやくが、キミはぼくの目をみながら、
「おとうちゃーん」
と、さらに声を大きくして笑った。いたずらっ子の目になっていた。
とおくの主婦らしき人々がみな買い物の手をとめて、にこやかにこちらを見ている。ちかくの人たちはキミを見おろしてから、ぼくに視線をもどして、だれもがおなじ微笑みをうかべる。
「おい、やめろってばさ」
とぼくはささやく。でも、頬がゆるんでいるのがわかる。
「ねえ、なに恥ずかしがってんのぉ、おとうちゃーん」
声量はさらにあがった。
「うちではいつも、おとうちゃーんって、言ってるじゃなーい」
ちょっぴり汗ばんだ。
あの人たちは、子供がほんとうのことを言い、父親がそれを照れていると十人が十人みているにちがいない。否定すればするほど、キミのことばに真実味がましてゆく。
それはけっして不快ではなかった。
あのとき、おとうちゃん、を二人で楽しんでいたんだね。
ぼくはこのときはじめて、キミのなかにあそび心と言葉にたいするすぐれた感性をかんじた。
言葉も声の大きさもシーンごとに、いちいち的確だった。
この子はあたまの回転が速い、小学校にあがってから、なかなかの成績をあげるかもしれない、とたのしみにしていた。とてもたのしみにしていた。あのころは。
ところが、キミのその後の成績はぼくの期待を裏切ってくれました。完膚なきまでにね。
まさか、まさかの成績が先にまっているなんて、このときは、夢にもおもわなかった。
会話をしているときのあたまの回転は、とても速かったけれどね……。
人の心のうごきを的確に感知する力も優れていたけれどね……。
人を不快にするような言葉を喉元にとどめる能力も大人顔まけの高さだったけどね……。
【今ふり返って】
とても短い、それこそ一分にもならない瞬間のできごとだったけれど、ぼくの人生のなかでも想い出ふかい濃密なたのしい時間だった。
おもうに、人生の価値って、こうした些事の想い出の多寡にある。
もう一度、と願っても、叶わない人生でたった一度のこと。出世やお金よりも、ずっとずっとたいせつな人生の価値。
楽しい瞬間をありがとうね。
2.小学校時代から〜〜カレー「事件」
調理の時間に友だちから「わたし前からカレーつくれるよ」と自慢されたときにとったキミの対応は……。
3.中学時代から〜〜
16点はきみにとって恥ずかしいことでも、ガッカリすることでもなかった。そのことに、ぼくは驚いて……。
4.中間・期末試験の数学がおなじ16点だったことにカンドウしたって?(その2)
答案を皆に見せて、「あ、おまえバカだったんだ」と男の子に言われちゃったと、楽しそうに。